ガッツ石松さんは、日本初のWBC世界ライト級チャンピオンとして昭和のボクシング界に大きな足跡を残した伝説的人物です。「やる気、その気、元気がなくなってきた。それが一番いいんじゃない?」と語りながら、数々の名言を残してきたガッツ石松さんの現在の活躍や現役時代の成績について紹介していきたいと思います。
ガッツ石松のプロフや生い立ちについて
- 本名:鈴木有二
- 生年月日:1949年6月5日
- 出身地:栃木県上都賀郡清洲村(現・鹿沼市)
家庭の経済的な事情から進学を断念し、中学卒業からわずか2日後に単身上京するという波乱万丈のスタートを切ります。上京後はさまざまな職業を転々としながら、ボクシング修行に励みました。
実は、ガッツさんが東京に出てきた動機は、有名になって大好きな高倉健と映画で共演したいという純粋な夢があったからだといいます。後にハリウッド映画『ブラック・レイン』で高倉健と共演を果たし、この夢を見事に実現させました。
1966年3月、ボクシングの名門ヨネクラボクシングジムに入門。同年12月のデビュー戦で1回KO勝ちを飾り、プロボクサーとしての道を歩み始めます。当初のリングネームは「鈴木石松」でした。
「石松」の由来は「死んでも直らないほどのおっちょこちょい」という森の石松から取ったもので、のちに闘志を植え付ける意味で「ガッツ」が冠されました。
ボクシングの成績と世界王者への道
ガッツさんのボクシング通算戦績は51戦31勝(17KO)14敗6分です。数字だけ見ると負けや引き分けも多い印象ですが、肝心な試合で勝ちきる「勝負強さ」が光るボクサーでした。
1969年に全日本ライト級新人王となり 、1972年には東洋ライト級チャンピオンを奪取。そして1974年4月11日、東京・日大講堂でWBC世界ライト級王者ロドルフォ・ゴンザレス(メキシコ)に8回KO勝ちで世界王座を奪取します。このとき下馬評では99%負けと言われていた圧倒的不利の状況を覆した、まさに奇跡の勝利でした。
参考サイト:日刊スポーツ
その後、世界王者として5度の防衛に成功。1975年には元WBA・WBC王者で当時世界1位の指名挑戦者ケン・ブキャナン(イギリス)を3-0の判定で下し、世界的な評価を確立しました。「幻の右」と称される右ストレートはガッツさんの代名詞ともなりました。1979年にボクシング界から引退し、タレント・俳優活動に転身します。
ガッツ石松の現在は?
2026年現在、ガッツ石松さんは76歳。若い頃は「何億という借金を返すために何でもやった」というガッツさんも、今は借金もなくなってきてるから、無理してガツガツやる必要はないと悠々自適な日々を送っています 。
仕事に関しては、振られたら、好きなものはやり、違うなと思うものはしないというスタンスで、無理なく活動を継続しているそうです。
趣味のゴルフも昔から一緒に回っていた仲間も減ってきたし、声かけられても3回に2回は断ると語っており、人生の秋を穏やかに過ごしています。
また、2010年に発足したプロボクシング世界チャンピオン会の初代会長も務めており 、後進のボクサーたちの育成や支援にも力を注いでいます。株式会社ガッツ・エンタープライズの代表取締役社長として実業家としての顔も持ち続けています。
俳優・タレントとしての活躍
ボクシング引退後、日本テレビ「うわさのチャンネル」への出演をきっかけに芸能界に転身。その後、NHK連続テレビ小説『おしん』、フジテレビ系ドラマ『北の国から』といった国民的ドラマに出演し、俳優としての地位を確立しました。
参考サイト:NEWSポストセブン
1987年にはスティーヴン・スピルバーグ監督のハリウッド映画『太陽の帝国』、1989年には高倉健主演の『ブラック・レイン』にも出演するなど、国際的な舞台でも活躍 。
2008年からは広島国際学院大学現代社会学部の客員教授も務め、その知名度は学術界にまで広がりました 。現在もNHK Eテレ「Q〜こどものための哲学〜」でキャラクター「チッチ」の声を担当するなど、声優としても活動しています。
伝説の名言・迷言集
ガッツ石松さんと言えば、数々の「名言」ならぬ「迷言」でも全国的に知られています。その天然っぷりが多くの人を笑顔にしてきました。
まず代名詞と言えるのが「OK牧場!」。映画撮影で憧れの俳優ロバート・フラーが最高の演技を見せてくれた瞬間に思わず口をついて出た言葉で、2004年には流行語大賞候補にも挙がりました。逆にあまり良くない状況では「OK農場**」と言い分けられているのも有名なエピソードです。
出典元:ガッツレンタカー公式チャンネル
その他にも珍語録を以下にまとめてみました。
- 「KYってどういう意味ですか?」→「気持ちいい」
- 「テレビで洋画を見ていて」→「最近の外人さんは、みんな日本語上手だねえ」
- (ディズニーシーに行ったとき)→「ディズニーAとBはどこにあんの?」
- 「うるさい!黙ってしゃべれ!」
- (飛行機でシートベルト着用のアナウンスに)→「今はもう、チャンピオンじゃないから(と着用拒否)」
- (娘がアメリカでホームステイ中)→「うちの娘がアメリカで立派にホームレスしてまして」
- 「急ぎの時は電車の先頭に乗る」(先頭車両が目的地に近いと思って)
- (「亀を英語で?」と聞かれ)→「スッポン!」
これらの発言をまとめた書籍『最驚!ガッツ伝説』はベストセラーになり 、嘉門タツオが「ガッツ石松伝説」という楽曲まで発表するほど、そのキャラクターは一世を風靡しました。
出典元:嘉門タツオ 公式チャンネル
池袋乱闘事件とは?
ガッツさんの伝説的爆笑エピソードといえば、池袋乱闘事件にまつわる一幕が格別です。
東洋ライト級チャンピオンだった時代、池袋で白タクの利権がらみのトラブルに巻き込まれた弟を守るために、ガッツさんはトラック運転手ら15人を相手に大乱闘。2人をKOして現行犯逮捕されてしまいます。ところがその後の警察での事情聴取が、まるでコントのような展開になりました。
刑事から「プロボクサーが一般人を殴ってはいけない」と注意されたガッツさんは、真剣な顔でこう答えたのです。
「チャンピオンの認定証に”いついかなるときでも、誰の挑戦でも受けなければならない”と書いてある。だから私は受けて立った」と回答したそうです。
出典元:永島オヤジの格闘チャンネル
その後ガッツさんは正当防衛と認められて釈放されましたが、この発言がテレビで広まると、なんとそれ以降チャンピオン認定証からその文言が削除されたという後日談まであります。プロボクサーのチャンピオンベルト認定書の文言を本気で日常生活に適用しようとするこの純粋さこそが、昭和が生んだ唯一無二のキャラクター「ガッツ石松」の真骨頂と言えるでしょう。
まとめ
生まれながらの貧しさ、中学卒業後すぐの上京、世界王者への道、億を超える借金、そして芸能界での大活躍したガッツ石松さんの人生は、まさに波瀾万丈そのものです。
76歳となった今も「好きなことだけやる」という自分流のペースを貫き、現役時代のファンを温かく笑わせ続けています。「人生はOK牧場!」という言葉通り、すべてを前向きに受け止めてきたガッツさんのスタイルは、時代を超えて多くの人に元気と笑顔を与え続けています。


引用:


